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つじお

Author:つじお
旅に惹かれ始めた。
どんな旅になるのか、どんな結果が待っているのか。
まるで想像がつかない。

今までの人生の中で、まるで想像がつかないことを
僕はしたことが無い。
初めて『夢』という言葉と向き合うことになった。
僕は初めて、人生を生きることにしたのかもしれない。

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新しい旅の始まり

オーストラリアから帰国して1ヶ月が過ぎた。
あの全てが新鮮で毎日が冒険だったアジアとヨーロッパの旅を終え、
外国に住むということの大変さと面白さを教えてくれたオーストラリアのワーホリが終わった。
文字通り、僕の一つの旅がここに完結したと言っていいのだと想う。


アジアとヨーロッパを周りながら、その土地に住む人々の姿を見て感じていた。
家族を想い、友人を大切にし、日常に多少の不満を持ちながらも、笑って暮らしている。
僕が出会う現地の人達は、誰もが皆、独りじゃなかった。


旅の中で、どれほどの孤独を味わっただろう。
道中でどれだけの親切な人達に出逢っても、
気の合う旅仲間が出来ていっても、
SNSで簡単に日本の皆に繋がれるというのに、
僕の孤独感は決して拭い切れなかった。
そして、その孤独感が拭えない訳を僕は知っていた。


今日1日の出来事をお互いに分かち合い、
お互いの喜怒哀楽を共に味わい、
少しずつ少しずつお互いの理解を深めていく。
自分自身の人生がより豊かで鮮やかなものに変わるのは、
体験した物語を、互いに聞いてくれて笑ってくれる人がいつも隣にいるからだって。
そしてもし、そんな人がこの先ずっとそこにいてくれるのなら、
僕はもう何もいらないのだろうなって。
僕が旅で見つけた一つの答えは、誰もが日常の中で気付くような、そんな単純なもので。
でも、僕にはとても、重たいものだった。
ずっとポケットに入っていたのに、決して見つけられなかったもの。
そんな小さな不思議な小石が、僕にはとても大事で大切な答えだった。


だから僕は、今、新しい旅に出ようとしている。
それは文字通りの旅ではなくて、日本という慣れ親しんだ国での日常という旅。
ここからは、もう僕だけの人生を歩むんじゃなくて、
誰かのために生きてみたり、誰かと共に生きていくためのもの。
見つかるのに馬鹿みたいに時間が掛かってしまったけれど、
他の人たちからは随分と出遅れてしまったけれど、
ここからは、僕等の旅の始まり。


この先はきっと、うまくいかないことも多いのだろう。
誰かと比べてしまったら、貧しさを感じることもあるのかもしれない。
豊かさを求め始めたら、そこにキリなんてないのでしょう。


ただ、それが不幸かって言われたら、
僕は絶対違うと想っていて。
それは、僕が見てきた世界が、決して不幸という景色の連続ではなかったから。
そこには、僕が人生かけて求めたくなるような、人びとの温かいつながりがあった。
大変さの中に生きている人たちは、小さな幸せを見つける優れた発見者だった。


不安はあるけど、ワクワクもしている。
新しい出発はいつだってそんなものだろう。
僕らが人生で成さなければならないことなんて何もなくて。
自分の望む生き方にただ、寄り添えばいいんだと想う。
そんな生き方を、これからもしていこうじゃないか。
だってもう、言うほど時間は残されちゃいないんだから。



2016.06.11

自転車旅(リヴィウークラクフ)最高の寝床と最高のビール

リヴィウを出て3日目。
未だに街からたった100km程度しかなかった国境を超えられていない。
ここからポーランドに入り、
さらにクラクフまで辿り着く為の距離は、ざっと測ってもまだ300km程度も残っていた。
随分と予定より長くなりそうな旅路に、僕は既に辟易としていた。


朝、目覚めてモグラがもうテントの下にいないことを確認した僕は、
夜露にびしょ濡れになったままのテントを丸め、すぐに出発した。
雨に打たれ、夜露を浴びたテントは既に中も外もびしょびしょで、
必然的に僕の荷物もその影響も受けてびしょ濡れのものが多く、
それらを早く暖かい日差しの下で乾かしたかった。


10kmも走ると国境の街メディカに到着した。
とても細い歩行者用の国境通路を、両脇に積んだパンパンの荷物で膨らんだ自転車が狭苦しそうに進む。
ポーランド側のイミグレの兄ちゃんは、そんな馬鹿みたいな格好の僕に、随分興味深そうに質問をしてきた。
目をキラキラさせながら、旅の始まりはどこか、自転車ではどこから来たんだと聞かれ、
答える度に彼は感嘆の声を上げる。


なんだかその反応が嬉しかった。
ひとを驚かせる為にやっている訳では無い。
だけど自分のやってることが、確かにある意味で凄いことなんだと客観的に教えてくれている様で。


ポーランドからは再びシェンゲン協定内に入るため、荷物の検査も比較的厳しかった。
それでも、荷物の底にしまっておいた煙草のカートンまでは気付かれず、僕はそのままイミグレを出た。
国境の街メディカは、なんだかとても小さな、それでいて廃れた雰囲気の街で。
ウクライナに続き、ポーランドもそれほど発展していないのかなと想わせる景色だった。


その印象は、しかしそこから5kmも走ると真逆へと変わる。
今まで走ったことの無いような大通り、高速道路の様な道が広がっている。
バイパスなんだろうかというその道の大きさが、僕に自転車通行禁止ではないかという心配を生み出す。
偶然やってきたパトカーの横を、ドキドキしながら通り過ぎることで、
ここが通行禁止かどうかの確認をしてみる。
特に御咎めもなく、自転車も通れるただの大通りだった。


ポーランドに入ると、突然にして馬鹿みたいなアップダウンの連続が始まった。
事前情報では、ポーランドは平らな国だと聞いていた。
ポーランドの国名の意味が確か平らな国だったはずだ。
それなのに、まるでトレーニングでもしているかのようなアップダウンの連続という連続。
自転車で通る人間からして、平らな道と呼べるものなどほとんど見当たらない。
周りを見渡すと、確かに熟練の自転車乗りをかもすスタイルの人びとが、日々の鍛錬に夢中になっている。
この人情無き鬼畜な道が与える体力的・精神的ダメージは予想以上に大きく、
少し休憩をしようと僕はこの自転車旅始まって以来初めてマクドナルドに寄った。
それはまだまだ続くであろう旅の日程に対し、バッテリーの充電が必要だと想ったからだった。


衝撃的だった。
人生の中でマクドナルドなど何度と足を運んでいたはずだ。
そのマクドナルドというものの素晴らしさに、僕は感動して涙すらでそうだった。


マクドナルドには、電源の確保が出来るコンセントが備え付けられ、
中の温度は外の寒さを考慮してかやや暖かい。
顔を洗う為に訪れたトイレはまるでホテルの様な美しさで。
顔どころか頭も、頑張れば身体も洗えそうだった。
そして洗えるというよりも、ここで全てを洗いたいと本気で数分悩んだのだった。


さすがに何も買わずに滞在する程の勇気も無かったので、
なにかしらのセットを頼み、一通りのマクドナルドという建物のホスピタリティに触れた後、感じた感想はこうだった。
ここに住みたい。
せめて一晩だけ、ここで過ごしたい。


雨や夜露にやられて全身ずぶ濡れになり、
夜中には急激に温度が下がり震える時間を過ごす。
決して快適などとは口が裂けても言えない空間で何日も暮らしていた。
誰が襲ってくるかも分からない一か八かの場所に日々テントを張り眠るのは、
いつまで経っても慣れることなく怖かった。
今日は大丈夫だったからと言って、明日の場所が大丈夫である保証などどこにもなく、
毎晩毎晩、同じ不安を抱えながら、それでも何も無いことを信じて夜明けを待つ。


そんな生活にさすがに疲弊していた自分にとって、マックの居心地の良さは神がかっていた。
更にWi-Fiが無料で1時間接続出来ると言う。(マックは国によってWi-Fi事情が違う。)
3日ぶりにWi-Fiを繋いでみてSNSを覗いてみると、最後に見たときから随分数多くの投稿がされていて、
世界の変化の速さ、情報と言うもののスピードについていけない自分がいた。
別の言い方をすれば、世界はこれほどまでに必要のない情報に埋もれているのだなと想った。
この3日間に凄まじい勢いで重ねられた投稿は、僕が自転車を漕ぐ日々にひとつも必要なものはなくて。
皆が一生懸命に投稿しているキラキラした情報が、なんだか凄く滑稽に見えた。


それでも、孤独感からtwitterだけ軽く呟いてみる。
その反応が返ってくるたびに寂しさが癒えた。
ほぼ全ての時間を一人で走り続ける自転車旅の中で、
その最中に誰かと繋がることが出来るというのは、とても温かく優しいものだった。
SNSに投稿される、自分にとって本当に必要ではない情報の、その多さに気付かされながらも、
そこでひとと繋がれる喜びが上回って、僕はそれでもSNSを止めないのはその喜び故なのだろう。


気付けば本気でマックから出たくなくなっている自分がいた。
自転車旅の不思議なところは、出発時の気の重さである。
何度繰り返してもそれは変わらなかった。
その旅路のゴールが近付けば終わりたくないと毎度切に願うのにだ。
生きていくことがうんざりする程の労力を要することを知っているのに、
死の間際に死にたくないと想うことと同じなのだろうか。


それでも気力を振り絞って出発し、クラクフに繋がる大通りに向かい車輪を回した。


大通りに出て僕は唖然とした。
通行可能な車種を示す標識に、確かに記載されていない絵柄があった。
この大通りを通れないとなると、クラクフに行くために迂回に迂回を重ねてかかる日数は、
ざっと見積もってもあと一週間は必要だった。
そして、今の僕には紙の地図もなくiPodに記憶されたGoogleMapの情報しか無い。
ルートを変えるとなればその旅路の詳細情報は全くなくなってしまう。
地図無く一週間程かかるであろう山道を進んでいく勇気はなかった。


悩んだ挙げ句、僕は取り敢えずの迂回路を走り出した。
10km程迂回しながらもう一度この大通りにぶつかるルートがある。
一時的な通行禁止かもしれない。その可能性にかけてみるしかないと想った。
そしてこの迂回路が、もう自分でも分かりきっていたけれど、当たり前の様に激しく厳しい道なのだった。


どこの国でも共通して、道というのは同じ構造をしている。
幹線道路のような大通りは概してアップダウンはなだらかで、
小道になればなるほど通る者の苦労などお構いなしの高低差だらけで形作られている。
今回も迂回のために小道に入ってすぐに溜め息が溢れた。またか、と。


歩いた方が間違いなく速いであろう速度で、
大腿部の筋肉が悲鳴を上げているのをしっかりと身体で感じながら、
その道の高みを目指して漕ぎ続けた。
40分程かけて随分と標高をあげ続けると、ふと坂道はそこから先まるで現れることはなかった。
そしてその代わりに訪れたのが、奇跡みたいな景色の連続だった。

2014050413.jpg

育ち盛りの子供の様に生き生きとした緑の畑が広がり、
その周りを、黄色よりも黄金色と呼ぶにふさわしい菜の花畑が彩る。
気温はそれほど高くはなかったけれど、透き通るような淡い青空とかすかな雲の無垢な白が景色を完成させる。その中をただ走ることが出来るということ。この喜びはどう表現すれば伝わるだろうか。
景色が綺麗なことだけで生まれるものではない感情の高揚を、僕はそれこそを絶景と呼ぶのだとこの旅で知った。


ここを通り過ぎていくのが惜しかった。
先を急ぐのは馬鹿馬鹿しかった。
この景色を観ながらゆっくりと一泊しよう。
その気持ちが先かハンドルを左に切るのが先か僕は既にでこぼこあぜ道へと入っていた。
そして、道側からの視界がそこに盛られた土の高さで完全に防がれている、
それでいて向こう側は畑と菜の花畑の美しさが広がる、
まさに寝床にふさわしい場所へと辿り着いた。


向こうの畑のあぜ道で談笑している地元のひとであろう二人組からは丸見えだった。
ただもう、そんな小さなことを気にしてここを去る気はさらさら無かった。
いずれ彼らもどこかに行くだろう。そうなればここは誰の目も届かない僕だけの場所になる。
そしてゆっくりと夜を越そう。そう想った。


ここまでの旅路の諸々の悪条件のおかげで、服も寝袋もテントもびしょ濡れだった。
夕方までにはまだ随分と時間があった。この機を逃すとまたいつ彼らを乾かせるか分からない。
僕はまるでそこに住む人間さながら、木や自転車や草っ原を利用して全てのものを干していった。
気持ちのいい穏やかな時間だった。


そしてテントが乾いた頃、待ち構えていた眠気を遮れず、
他の物はもうしばらく干しながらも、少しだけ仮眠を取ろうと中に入った。
しばらくして眠りに落ちるかといった頃のこと、原付のこちらに近付いてくる音が耳に届く。
徐々にその音は大きくなり、確実にこちらに向かっていることが分かる。
先程の向こう側の畑で談笑していた住民がこちらにやってきているのだろう。


テントを閉めていた僕は、開けるかどうか悩みながら葛藤していた。
今更ここを出て行けと言われても辛い。寝たふりをしたらどこかに行ってくれるだろうか。
どう出るか頭をぐるぐる回しながらも、結局外に出て話してみることで落ち着いた。


原付はまさに僕のテントの前で止まった。
僕は覚悟を決めて外に出る。
ひとりのおじさんと、小さな子供がそこに乗っていた。
そして彼らを見ると僕はhelloと笑顔で声を掛ける。
彼らもまた、不思議そうではあったけれども笑顔で僕を見ていた。


どうやら英語が通じない様だった。
それでもジェスチャーや簡単なyesとnoの質問で、ここに泊まっても良いかを聞いてみた。
おじさんは、そんなことは俺の決めるこっちゃないという仕草で笑い、もちろん大丈夫だと付け加えた。
留まれることを知った僕はすっかり安心して、彼らが去るのを見送っていた。


そのすぐ後に、今度はもうひとりのおじさんがこちらにやってきた。
そして先程の彼と違い、そのおじさんは英語で色々と僕に尋ねたのだった。
どこから来たのか、何してるのか、どこへ向かっているのか。
そして彼は随分と僕に気を許してくれたのか、身の上話までも話してくれた。


もう20年以上前になるけれど、ロンドンにいたことがあって。
英語はその頃に覚えたものを今想い出してなんとか話しているんだって。
僕の家に泊めてあげても良いけれど、もちろん庭がいいなら庭でも良いし。
ただ、奥さんがokと言うかどうか分からないんだ。そして彼女はとても気が荒いと。
小さな娘さんがいて、彼女が生まれてから僕の人生は変わったんだって。
彼女のために僕は生きているんだと。


田舎らしい穏やかで温もりある景色のその中で、
ひとびとが昔から繰り返し守り続けてきた大切なものを教えてくれる、
そんな黄金色の彼の物語が輝いていた。


足りないものは無いのかい。
彼がふと僕に尋ねた。
僕はこれでも全て揃ってるんだよって答えた。
そして彼は、ビールもあるのかって重ねてきた。
ビールは無いやって僕は笑った。
飲みたいだろって聞かれたから、僕は飲みたいと答えた。


家からビールを持ってくるから待っててくれ。
そう言って彼は原付に乗って向こう側へと走り出した。
帰ってきた彼の原付の足下には、3本のビールが置いてあった。
彼の分と、僕の分、そしてもしかしたら戻ってくるからともうひとりのおじさんの分だった。


結局もうひとりのおじさんは戻ってこなくて、
二人でしばらく談笑しながらビールを飲み交わし、
それじゃお互い素敵な人生をって言葉でお別れをした。
それまで自転車に乗ってる最中にビールを飲んだことも無かったし、
その最初のビールが誰かの優しさと共に運ばれてきたこともあって、
あれは間違いなく人生の中でも最高のビールだった。

201405053.jpg




2014.05.04

旅から帰国して1年が過ぎた日

早いものでという言葉を使う気も起きない程、僕の中では昔話みたい。
なんだか本当にまだ1年しか経っていないのかと疑いたくなる。
徐々に、徐々に、僕の中の「大切な想い出」という引き出しに眠っていく記憶。


あの旅で得たものも失ったものも色々ある。
詰まりに詰まった旅だった。
それでも、今となっては僕の人生のただの「大事な」一部でしかない。
僕の「大事な」人生は続いていて、
そして今という瞬間はあの旅の「記憶」よりももっと大切な時間。
あの旅の瞬間が僕にとって大切だったように。


いまの僕は随分と肩の力が抜けている気がする。
出発前、なにか1つでも持ち帰らなければと闘牛さながらに興奮していた自分を今日、想い出した。
持ち帰るものは、帰国後に役立つもので。
自分の未来の仕事として生かせるもので。
人生を豊かにするためのヒントや答え。
確かそんなものを、求めていたはず。


旅の途中で、そんなものいらないやって想った。
面白そうなこと、いま自分がやってみたいこと、そんなことだけに意識を向けていった。
予定の半分も周っていなかったけれど。
旅はもういいかなって想ったから、日本に帰りたい理由があったから、1年前のこの日に帰国した。
そしてこの1年間、そんな「意識」をずっと持ちながら生きてきたんだと想う。


好きなことだけをやればいいとか言うつもりでは全然なくて。


いま、オーストラリアでキッチンハンドとして働いていて。
仕事自体は学生時代のアルバイトの仕事とまるで変わらないし。
レストランの中で一番肩身の狭い「なんでも屋」のような存在。
これが生涯掛けてやりたい仕事だ!なんて口が裂けても言えない。


ただ、僕の「意識」がこの仕事を面白くしてくれている。


プロの作るひとつひとつの料理に込めるなにかを間近で見られる喜びを感じ。
賄いで食べる料理のどれもが度肝を抜かれる美味しさで心が震え。
こんな風に自分も美味しいものが作れたらなって創作意欲も沸き上がり。
自然と洗い場に置かれたソースを舐めている自分。
これは何って好奇心でシェフに聞いてレシピを盗んでやろうとする自分。
英語の面でもネイティブの話し方や使う言葉は新しい発見だらけで。
なんでも屋として皆の役に立つように色々な創意工夫もこらす。


別に将来シェフになるんだ!って想っている訳じゃない。
ただ、面白そうなこと、いま自分がやってみたいこと、そんなことだけに意識を向けると、
色んな「小さな」自分の興味・関心がにょきにょき現れてくる感じがある。
それは仕事だけじゃなくて、生活という場の色んなところでも、そう。


最近は、ちょっとこんな感じで。
少しずつ少しずつ、ひとつひとつの「目の前のこと」をより大事にするようになってきてて。
それがなんだか心地良いのと、随分としっくりきてる気がするのです。


過去も未来ももちろん大切な自分の一部だけれど。
こんな風に毎日の「日常」に、彩りを添えていくのもなんだか素敵で楽しいなと。
今を大切に。こんなありきたりな言葉の為の言葉が、
日々の生活に活けられる様になったのもあの旅のおかげかもしれない。


今日もまだ、少し時間が残っているし。
FRIENDSでも観て、また笑おう。



2015.07.09


Topic:世界一周
Genre:Tour

『あなたは死ぬその瞬間、後悔の無い人生だったと言えますか?』という言葉に申したい。

こんにちは。
久しぶりに更新します。
今日は、あの旅を終え、オーストラリアで生活してみて、
今自分が想うことを少し綴りたいなと想います。


今回のタイトルの様な言葉は、よく見かけるフレーズじゃないかと想います。
実際、自分もこの問いを中心にして色々な自身への問いかけを軸に、
確かに見えていた自分の人生のレールを、
自分の脚で脱線することを選択をした時期があり、
そして今があります。


あの頃は、毎日がまるで同じ様な日々の連続の中で生きていくことに、
確かに疑問を感じていたのを覚えています。
それは今の世の中、あるいは人生の選択肢の可能性を知った人間に訪れる、
当然の感覚なのかもしれません。


1度しかない人生の中で、
何の疑問も無く言われる通りに生きてきて、
数える程の会社のことだけしか知ること無く、
地球という球体は実際に見たことも無い白紙の地図が広がり、
世界中で暮らすひと達の気持ちもまるで知らぬまま、
自分の人生の幕が閉じていく...


それ自体は何も悪いことでは無いと僕は想います。
ただ、現実として今の日本に住むひと達は、
他国の発展途上国と呼ばれる国に住むひとに比べて、
世界を旅するだけの経済的な余裕もあれば、
地球上に存在する国のほとんどの国に渡航出来るパスポートを持ち、
溢れる程の情報のおかげで比較的安全性の高い旅が出来ます。


仕事も同様で、
海外で働こうと思えば日本企業現地採用、インターン、海外ボランティア、
起業をしようと考えるのであれば、そこら中にサンプルも転がっていて。
田舎で生活をするという選択肢もかつて無い程に充実しています。


やろうと想えばやれる時代なんですよね。
逆に言えば、やろうと想えば何でも出来ちゃいそうな時代なんです。
それは良い意味でもあり、そして悪い意味でも僕らを苦しめます。


選択肢が過去に類を見ない程に限り無く広がっているから、
その選択肢を選ばない自分の人生に迷いが生じる。
本当にこの人生で良いのかなんて疑問の正解は永遠に生まれることもない。


確かに正解は無いと僕は想います。
ただ、答えはあると想うんです。


答えは、その迷いを少しずつ少しずつ自らの力で拭い去ることではないでしょうか。
僕はあの旅を通して、そしてオーストラリアに少し住んでみて、
そんな風に想うようになりました。


それはもちろん自分自身で自らに問いかけ続けたことで見えてきたものでもあるけれど。
少しだけ、世界に住む、世界で生きるひと達の生き様や生活を見て感じたものでもあります。


多分僕は今、
会社で社畜のように働き詰めになったとしても、
愛する家族に囲まれながら平凡な日々を過ごしていても、
海外を股にかけるように旅をしながら生活していても、
あるいは一文無しで日々生き残るかどうかの過酷な日常の中にいても、


「僕の人生はこれでいいのだろうか」と悩むことは無いと想います。
なんでって言われるとうまく説明出来ないのですが、
どんな生活の中でも楽しみや喜びはあるし、苦労や悲しみもある。
それを味わうことが出来て、共有出来る仲間や友達、家族がいるのであれば、
多分何してても今はもう幸せなんだろうなって想うんですよね。


それは、
「旅をしようと想えば旅に出ることが出来る」
「海外に暮らそうと想えば暮らすことが出来る」
その選択肢を実際に自分で潰してみた(体験してみた)ってことから確かに生まれたものだと想います。
言い換えれば、迷いを少しだけ、自分の力で拭ってみたんですよね。
実際やってみて、憧れ続けるものでも人生かけて追いかけたいものでもないかなって想えたから。
だから旅しながら一生生きていける方法があるよって言われても、
僕は間違いなく冷静に「へぇ、そうですか。でも僕は結構です。」と言えます。
世界には未だ見ぬ絶景が広がっていると言われても「僕にとっての絶景とはですね…。」と言えます。


そこが難しいところなんですけどね。
迷いを拭うには、もしかしたら実際に自分で動いてみるしかないのかもしれません。
でも他にも人それぞれのやり方で自らの迷いを少しずつ拭っていけるのだとしたら、
『あなたは死ぬその瞬間、後悔の無い人生だったと言えますか?』のような、
小賢しいフレーズに囚われること無く、僕のあなたのその大事な人生を生きていけばいいんだと僕は想います。


レールから外れてみて想うことは、
確かに乗っていたレールを進んでいたって、
僕の人生は間違いなく面白かったはずだって。
僕はそう想うんです。


ひとは迷い、戸惑いながら、
それでも一生懸命に生きているんだと想います。
お金が大事なのか否か僕には分かりませんが、
世界で出逢った貧しいと言われる国の皆はすごく輝いて見えました。
誰もが完璧ではないから、補い、助け合い、笑い合いながら生きています。
そして醜くもあるから、騙し合い、殺し合い、悲しみながらも生きています。
明るいばかりじゃ無いけれど、暗くて辛いばかりでもない。
どちらもあるからひとはひとなんでしょう。


そんな人生を、僕はこれからも笑い悲しみ喜び怒り、楽しんでいきたいと想います。



2015.04.05

自転車旅(リヴィウークラクフ)抜け出せないウクライナ。

久々に更新しますね。
明けましておめでとう御座います。
旅から帰ってきて今日で半年が経ちました。


すっかり日本にも慣れ、
違和感だらけだった日本のことを少しずつまた好きになってきました。
日本の好きなところも不思議なところも、旅のおかげではっきりと映ります。


僕は来週からオーストラリアのパースで1年間過ごそうと想っています。
ギリギリワーキングホリデイに出掛ける訳です。


ここでの旅の話も終えていないのに、
もうすぐ新しい物語が始まりそうです。


英語の勉強もしっかりと!と考えているので、
また更新が空いてしまうかもしれませんが、
今年も少しずつ少しずつ更新していきたいなと想います。


皆さんもどんな一年が待っているのか、楽しみですね。


================
朝起きるとどうもテントの外から声がする。
これは誰かに見つかってしまったかなとファスナーを上げ、
外を覗くと、随分ガタイの良い軍服の男が。
なんだか厳しい口調で僕に向けて何かを叫んでいる。


あれ、これはちょっとまずいかもしれないぞ、と。
取り敢えず英語はしゃべれないかと聞いてみるが、残念ながら話せないようだ。
かろうじてパスポートという言葉だけ聞こえたので取り出して見せる。
本部のような場所と無線を使って交信しているらしい。
こいつ日本人ですわ、どうしますか的な会話の様な...気がする。


その後、必死のやり取りの末、
僕がここから11時には出発し、ポーランドに入るつもりだということを理解してくれた。
東の方には行かないんだなとウクライナの都市名が次々と上がってきたが、
ポーランドに行くということでOKだったようだ。


既にロシアとのいざこざが発生しているのを知っていたし、
国内でも警戒態勢が強化されているのかもしれない。
確かに、この状況下に林の中にテントを張っている男がいたら、反政府派の人材かと疑ってもおかしくはない。


西の一部エリアしか訪問しないため、危ない地域であるという意識はあまりなかったけれども、
こういった時期にウクライナに入国したことを、僕は初めて後悔した。
それは、危ないからじゃなくて、僕の配慮の無さが、誰かに対して迷惑を被る行為であることに気付いたからだった。
大した目的もなく、それが武勇伝気取りであるならば、尚更だ。


男が去ってすぐに、ぽつりぽつりと雨が降り出した。
雨の中を駆け抜けていくことに、僕は大した喜びを感じない。
むしろ、辛い。
でも11時には出発すると言った手前、雨だからと言って出発を遅らせていたら、それこそ問題になるかもしれないなと。
嫌々ながら僕は、まだ本降りではない雨の中、出発することにした。


あと10km程で国境に辿り着く計算ではある。
ただ、昨日出逢った陽気なおじちゃんたちが不吉な言葉を残していた。
「この先の国境は自転車は通れないぞ。迂回して、南の国境を通るしかない。」
酔っ払ったおっちゃん達の言葉だから、嘘か真か悩むところではある。
そして迂回するとしても、その距離は実に70km、一日走るぐらいの距離がある。
僕は、おじちゃん達が酔っ払って戯れ言を吐いていただけだという失礼極まりない可能性に賭け、
もう少しで辿り着く国境を目指した。
わずか10km程の道のりだったけれども、とめどないカーブの道を走り、広大な牧草地帯を拝む、そんな時間が続く。
僕の気持ちは随分と高揚し、いよいよポーランドに到着するという想いを抑えられなかった。


“No!!”
という声と共に、国境警備の兵士は僕をはじき返した。
国境に着いてみて、自転車が通れないと言ったおじちゃん達の話はまさに本当だったことが分かる。
それでも、ごねれば何とかなるんじゃないか精神で、ひたすらごねていた。
これも車みたいなもんだろと、日本だったら絶対言わなかったような言い分も、旅の中でもう慣れてしまっていた。


脇で待ってろとジェスチャーされ、無線で連絡を取ってくれている様子が伺える。
正直この状態にもっていけたら通れるだろうと想っていた。
でも、最終的に言われたのは、迂回して南の国境へ向かえという言葉。
それもとても優しく、わずかな英語の単語とジェスチャーを使って丁寧に教えてくれた。
そのありがたい対応に感謝するでもなく、むしろ少し腹を立て、僕は仕方なしに引き返すことにした。


自分の望みがまかり通らなかっただけで、
まるで相手に非があるかの様に非難や批判を繰り広げる。
僕自身そんな瞬間がある。
このときの僕も、そんな気持ちがふと沸き出ていたのだろう。
情けない程に、幼稚な男だなと想う。


引き返すとなると、ここから南の国境までは90km程あった。
既に時間も昼時であるし、恐らく今日中には到着しないだろう。
ウクライナの国内のどこかでもう一泊野宿し、明日ポーランドに入ろうと考える。


渋々と先程通った道をまた漕ぎ始めた。
来た道を戻るのは、そういえば初めてだったなと想いながら、
初めて観る景色ではないものに感じる自分の感覚を味わっていた。
そこに随分安心感があった不思議さを覚えている。


来た道を15km程戻り、ようやく南に抜ける道へと辿り着く。
ここからは、はっきりした地図がない。
GoogleMapでも確認していなかったため、キャッシュが残っていない。
あとはもう、メディカという国境の街の名前と勘を元にひとを頼るしかなかった。
地図が無いというのは、酷くひとを不安にさせ、同時に旅慣れてきている僕の感覚をこれでもかとくすぐってきた。
先が見えないときにこそ、何かが起こることを肌身を持って体験してきたからだろう。


そんな気持ちをぶち壊す様に、突如激しい雨が降り始める。
大通りを外れて初めて分かったことだけれども、道の作りが酷い。
アスファルトは完全にはがれ落ち、泥だけが広がり、そこら中に大穴の空いた道が続く。
そして雨が溜まり始めていて、どの穴が深いのかまるで分からない状態へと変わっていった。
まるで地雷のトラップだらけの道を走っているかの様に、常に緊張感と共に道を進む。


これほどの悪路はベトナム以来見たことが無かった。
ウクライナが貧窮しているという話の現実味を、僕はこの道から感じ取った。


1時間程その道を走り、ようやく大通りへと突き当たった。
ここを右折して、さらに60km程走れば、国境にたどり着くだろう。
酷い悪路を終えて自転車を確認すると、フロントタイヤカバーと括り付けてあった水のボトルが無くなっていた。
荷物や服はびしょびしょの泥だらけ、飲み水も急遽どこかで補給する必要が出て来た。


悪路への対処と大雨に濡れたことで神経をすり減らし、ヘトヘトになっていたけれど、
大通りに出た頃から雨もあがり、心にも余裕が生まれてきた。
二股に何度も分かれる度に、一度立ち止まって国境の街の名前をひとに聞く。
すると標識のように彼らは指を差し、道を示してくれる。
笑顔で嬉しそうに、誰もがその行動を取ってくれた。
そんな彼らの対応が、僕の中の疲れも心の寒さも解き放ってくれる。

IMG_1910.jpg

実は地図すら要らないのかもしれないなって。
自転車旅で本当に必要なものの少なさに改めて驚かされている。
ひとが生きていく上で必要なものだけを抱えて自転車を漕ぐ。
それでもいつの間にか更にまた要らないものが出てくる。


それはひとに頼ることをどんどん覚えていくからだった。
きっと誰かが助けてくれる。そのことを信じられるからだった。


もしかしたら食料が手に入らないかもしれない。
バーナーに使うガスが途中で底を尽きるかもしれない。
車体が突然ぶっ壊れるかもしれない。


かもしれないリスクは計り知れない数存在していて。
そんなことを皮算用のようにそろばんを弾き、荷物を増やしていたら。
重くてどこにも行けやしない。


かもしれない不安を抱えながらも。
いつしかその恐怖がするするとほどけていくのが体感覚ではっきりと分かっていた。


何度もひとに助けられ、
いつも絶妙のタイミングで素敵な出逢いがあって、
ギリギリのところで必ずなんとかなったり、
意外な程あっさりと目的地に辿り着くこともあった。


自分独りで旅をしているんじゃないって感覚が、
僕の荷物を少しずつ減らしていく。
根拠の無い信頼みたいなものを、
僕は未だ逢ったこともないひと達に寄せていた。


その日も最後にガソリンスタンドで道を尋ね、
国境がもうすぐそこに迫っていることが確認出来たので、
放置されて伸びきった雑草に囲まれた静かな空き地を宿にして、
ずぶ濡れのままだった体を乾かしながら床に着いた。

IMG_1916.jpg


近くの道路を通る若者が奇声を上げて「アメリカ!アメリカン!」
と僕のテントに向かってであろう挑発をしてきたり、
近くのバーから大音量の音楽が流れてきたことで少し場所を変えようかとも想ったけれど、
疲れには勝てなかったのと、きっと大丈夫だと言う根拠のない第六感を頼りに、
そこに留まった。


夜中には、テントの下をモゾモゾと這い回る動物が僕の体を突っつき、
妙にくすぐったいなぁなんて温もりを感じながら、
ふと今起こっている現実を理解し恐怖に駆られて飛び起きると、
その動物を追いやるためにテントの床を叩き続けた。


よく考えたら、
あれが人生で初めてのモグラ叩きだったのかもしれないなって。
翌朝起きてそんなことが頭を過り、僕は笑った。



2014.05.03



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